こんにちは、「コボヒロ」です。
「高学歴って憧れる!」
「高学歴の人ってカッコいい!」
「将来は高学歴の人と結婚したい!」
そんなひと昔前の考え方をしている人をたまに見かけますが、
高学歴って人生にそこまで関係ないのではないかな、
と最近考え始めています。
学歴って生きていく上で本当に必要なのでしょうか?
高学歴には2つの人種がいる
それは、高学歴で優秀な人間と、高学歴でバカな人間に分けられます。
高学歴で優秀な人は、当たり前のように異次元の結果を出してきます。
文句のつけどころがないぐらい素晴らしいです。
もう一方で高学歴でバカな人は、ストレスをためて壊れてゆく傾向が強いです。
なぜストレスを貯めて壊れてゆくかと言うと、
「本当はバカなのに、自分は高学歴だ。」
というプライドの高さ、見栄が邪魔してそのギャップに耐えられなくなってしまうからです。
そういう人をぼくは複数人みてきました。
高学歴=優秀な人が多い
「高学歴=絶対的知能」ではありません。
「高学歴=優秀な人が多い」ただそれだけです。
だから、企業側は面接のときに必ず学歴の欄をチェックします。
高学歴はハズレの確率が低いから、多く採用します。
人事部だって無能な人間は自分の企業にいれたくないですからね。
ココまで「高学歴、高学歴」と呪文のように唱えると、
「高学歴ってなんだっけ?」となりませんか?
ちょっとだけ原点回帰してみましょう。
高学歴とはなんぞや?
そもそも高学歴とはどのようにして決まっているのか?
ココまで読み進めた人なら気になっていると思います。
高学歴とは、難関大学を卒業したことが大切ではなくて、
難関大学に入学した時点の学力で決まるモノです。
Facebookの創業者のマークザッカーバーグは、ハーバード大学中退だが、
彼のことを「高学歴」といってもだれも否定はしないと思います。
すなわち、高校3年生時点の学力が高い人が高学歴になる、ということです。
残念なことに高学歴とは、18歳で決まっています。
大学でどのくらい勉強したのか、大学で何を専攻して、どんな研究をやって、
どんな成果を上げたかなんてまったく関係ないし、企業に入社したらだれも興味を持ちません。
(入社して1ヶ月ぐらいは話のタネになるかもしれませんが、、)
大学に行く価値を見出せなかった
少し前の記事にも書きましたが、学力なんていくらでも補完が効くから、
人生で微分積分や3次方程式が必要になったら、スマホでググれば分かるし、だれも困りません。
微分積分のような難しく問題を1問解くために、何十時間も労力と時間を費やし、
脳のリソースを使い、テストで解いたら忘れることのムダの多さと言ったら類を見ません。
「覚えて忘れることを繰り返す時間がムダだよね。」
そんなことは小学中学で学んだハズなのに、高校大学になると途端に忘れてしまう傾向にあります。
その覚えて忘れることを繰り返す大学4年間という時間は、
本当に捧げる価値があるのでしょか?
ぼくは苦痛でしかないと思います。
本当に必要なものは大学の卒業証書
なぜ大学の卒業証書が必要なのかと言うと、
海外の労働ビザを取るときに、知的労働者になれる可能性があるからです。
だから、大学に通って普通に就職するだけならどこの大学でも良いんです。
なぜなら、「イェール大学」と「ニューヨーク大学」どちらの学力が上か、なんて日本人が知らないように、
「早稲田大学」と「関西大学」のどちらの学力が上か、なんてアメリカ人にはわからないし、興味はないと思います。
学力は問題ではないのです。
1番のネックは4年間という時間です。
18~22歳の大切な時間を、
「覚えて忘れることを繰り返す時間」
としてなんとなく使うことに価値を見い出せますか?
補足:慶應はコネクションが強い
慶応は、企業の中でも「慶応コネクション」が形成されていることが多いから、
そういうコネクションがもし欲しい人なら、慶應を目指したほうがいいです。
ご自由にどうぞ。