教育

子どもに「なんで勉強しなければいけないの?」と聞かれたら、あなたはなんて答えますか?

2019年1月8日

子どもに「なんで勉強しなければいけないの?」と聞かれたら、あなたはなんて答えますか?

こんにちは、コボ ヒロキです。

みなさんは子どもが「なぜ勉強しなければいけないの?」と聞かれたらなんて答えますか?

「素晴らしい大学に行くため」
「社会を勝ち抜くため」
「人生を豊かにするため」

いろいろな答えがあると思います。

今回は抽象的な題材ですので、1つの考え方として読んでみて下さい。

学歴と成功は比例しない

将来あなたの子どもがボストンコンサルティングで働きたいなら、いい成績で最高の大学を出る必要があるし、医者になりたかったら専門知識は必須なので、優秀な医大に行く必要があります。

そういう人たちはこのブラウザを閉じてちゃんと勉強しましょう。

ですが、素晴らしい大学を出たからといって、偉大なことを達成できるとは限りません。

もしあなたの会社にビルゲイツや、墓場から蘇ったスティーブ・ジョブズが

「この会社で働きたいっす。雇ってください」

と言ってきたらすぐに採用しますよね?

でも彼らは”しょせん”高卒です。

彼らが学歴は成功とは関係ないことを証明してくれました。

私たちの9割は、ボストンコンサルティングで働くわけではないし、医者になるわけでもありません。

ほとんどの人はどこかの中小企業に勤務するか、少し優秀な人は大企業に勤務することになります。

子どもの成績が少し悪かっただけで、残りの人生が決まっていると本気で思っているなら、あなたとあなたの子どもは人生という山で遭難しているか、近い将来、確実に遭難するでしょう。

ここで大切なのが、学歴=優秀、ではないということです。

それでは、学歴を決めている勉強とはいったいなんなのでしょうか?

勉強とはなんぞや?

IT風にカッコよく言うなら、

「勉強とはデータやアルゴリズムを脳にダウンロードすること」

です。わかりやく表現するならば、スマホにアプリをダウンロードするイメージです。

現在の勉強方法(脳へのダウンロード方法)は、小学、中学、高校でおなじみの、教師が教壇に立って授業をするスタイルです。

でも、あの勉強方法(脳へのダウンロード方法)だとつまらなく、退屈です。

高校までの12年間ほとんど同じ授業の進行方法なので、教師に情熱がありません。

それは生徒たちに伝わり、彼らは「なんでこれを学んでいるんだ?将来絶対使わないじゃん。」と思ってしまいます。

しかもそこで学ぶほとんどのことは、実際に将来使わないので意味はないです。

勉強は楽しく学ぶもの

勉強はゲームのように楽しくなければいけないと思っています。

だから、スマホやタブレット、未来的にはVRを使って授業をしても良いと思っています。

しかし、授業でスマホ禁止の学校が増加しています。

スマホを禁止にしている理由は大きく2つです。

①いじめに繋がる
②授業中にゲームをする

①のいじめについては、解決方法はすでに確立しているので、詳しく知りたい方はこちら(未公開)をすこし覗いてみて下さい。

②の授業中にゲームをするは、ゲームをすること自体が問題なのではなく、授業よりもゲームのほうが楽しいと感じてしまう授業のほうに問題がある、と僕は考えています。

親(指導者)の役目

「勉強はつまらないし意味がない。」と感じている子どもに対して、親(指導者)は一回立ち止まって「なぜこれを教えているんだろう?」と考えて、その「なぜ」を子どもに伝えなくてはなりません。

なぜなら、子供たちは「なぜ勉強する必要があるのか?」をよくわかっていないからです。

「なぜ学ぶのか?」を伝えずに難解な公式を勉強して覚えようとしても、本質を理解できずに「覚えないと怒られるから、、、」と子供は認知的不協和状態になってしまいます。(※認知的不協和状態=矛盾する新しい事実を突きつけられたときに感じる不快感のこと)

そしてテストで間違えたら、「なんで間違えたんだ!?お前の友達の〇〇君はあんなに優秀なのに、なんでお前はこんなことができないんだ!」と親に罵倒され、教師からは「もうちょっと頑張ろうな。頑張らないと良い大学や良い会社に就職できないぞ。」とはっぱをかけられます。

そうやって12年間、間違えることを許されずに育っていきます。

そういった子どもが大人になったらどうなると思いますか?

間違うことを恐れたり、ためらったりするんです。

そういった教育をしてきた世代の人間たちは、私たち若者が社会に出たら、

「起業しろ!」
「今の日本の若者に元気がない!」
「イノベーションを起こせ!」
「若者は酒も飲まない、車も乗らない、つまらない奴らだ。」

なんてテレビとかで声高らかに言うわけです。

少し考えればそういったことは今の若者にできるわけがないんです。

だって、大なり小なり必ず失敗するってわかっているんですから。

だから、親(指導者)は一回立ち止まって「なぜこれを教えているんだろう?」と考えて、

その「なぜ」を子どもに伝えなくてはなりません。

勉強はツール(手段)より、問題解決に重点を置くべき

学校の最終目的は優秀な大学に入ることか、大企業に入ることです。

学校には、あらかじめ設定されたゴールがあります。

では、人生の目標は何でしょうか?

人生の最終目標は、問題解決をすることです。抽象的で、どこがゴールなのかわかりません。

ここに大きな違いがあります。

たとえば、パソコンの組み立てを教えるとします。

学校で教えるときはまず、ドライバーやペンチ、レンチ等のツール(手段)のことを教えます。

ドライバーを使ってネジを外すためだけに、ドライバーの歴史や発明者の名前、年号を勉強してから、初めて一本のネジを外す実習をするのが学校のやり方です。

この方法だと覚えるのがとても大変ですし、とても退屈です。

それよりも「これがパソコンです。どうやって分解しましょう?」と先に問題提示をしてあげます。

その後に子どもたちは「ドライバーやペンチが必要だね。」とツール(手段)のことを学んでいくのです。

そうすると、解決する問題と解決法の関連性が明確になり、問題解決のスキルが上がっていきます。

どちらのほうが人生において必要なことでしょうか?

ドライバーの歴史を知っているほうが良いのか?それとも、ドライバーを使って問題も解決していく方法を知っているほうが良いのか?

僕は後者の方が人生において、大切な勉強方法だと思っています。

だから、学校の成績が少し悪くても問題はまったくない、と考えているわけです。

ですが、残念なことに今の学校は前者の教え方しかできていません。

だから、みんな大人になってから苦労するんです。(苦労しないための本を近日公開予定です)

まとめ

子どもが「なぜ勉強しなければいけないの?」と聞いてきたときのぼくの答えは、

「見えないゴールを探すためだよ。」と答えます。

みなさんと次の記事でお会いできるのを楽しみにしています。

でわまたっ。

オススメの記事(集計中...)

-教育