こんにちは、「コボヒロ」です。
寒い季節が理由なのかわかりませんが、最近読書をしている人をよく見かけます。
ぼくは読書が好きなので、読書をしている人を見かけると
「どんな本を読んでいるんだろう?」
とつい本の表紙や中身を覗いてしまう悪いクセがあります。
そこで気がついたことが、
「自己啓発本が好きな人って最近多くない?」
という肌感です。(実際に自己啓発の市場は30年で3倍の規模に成長しているらしいです)
自己啓発本を読むことは、将来幸せになろうとしたり、自分に足らない「何か」を探す行為なので、素晴らしいことだとぼくは思います。
しかしその自己啓発本を読んで、
「あなたは幸せになれましたか?」
「あなたの足らない何かは見つかりましたか?」
おそらく多くの人は幸せにもなれていなし、足らない何かも見つかっていないと思います。
お気づきかもしれませんが、本当に勉強するべきところは自己啓発本の中ではなく、
「なぜ自己啓発本を読んでも幸せになれないのか?」
ということです。
序文はこれくらいにして、さっそく見ていきましょう。
幸せとは結果に対する感情的な反応
「勝ったら幸せになり、負けたら幸せにならない。」
断言します。
この理論を信じている人は幸せにもなれないし、幸せを保ち続けることも残念ながらできません。
最後には必ず不幸になるでしょう。
なぜなら、達成するたびに幸せの基準が上がってしまうからです。
幸せには常に一定の結果が要求される、ということを必ず覚えておいてください。
たとえば、
2018年の年収が1000万円だった人は、2019年の年収が最低でも1001万円でなければ幸せな気持ちになれません。
もし年収が999万円に下がっていたら不幸せな気持ちになってしまいます。
つまり、幸せは結果に依存しているのです。
幸せを追い求めるならば、度々失敗することになり、不幸せになるでしょう。
自己啓発本を読んでも幸せにならない理由
自己啓発本を読んでも、結果が生まれないから幸せにはなれません。
中には「本を一冊読んだんだから結果は出ているだろ!自己啓発本を読んでも幸せにはなれる!」
という人がいるかもしれません。
もちろん本を読んだという結果は出ていますし、幸せにもなれる可能性を秘めていますが、
達成するたびに幸せの基準が上がってしまうので、本を一冊読んだぐらいで幸せになれる人は、
「あぁ、、そうっスか、、(笑)」としかぼくは言えません。
そういう人はこれからたくさん幸せがあるハズなので、この記事は読まなくて大丈夫です。
では、気をとりなおして進んでいきましょう。
幸せになれないなら、何を追えばいいのでしょか?
喜びは一定の感覚
それが喜びになります。
喜びは選択や結果の代償によるものではなく、一定の感覚です。
結果に関係なく、自分の流儀や理念に沿って物事を進めていくことで生まれるものです。
過程の中にあり、常に途中であり、取り組みの中で自分が楽しめることをする、その中に喜びが根付いています。
この感覚は筋トレによく似ています。
ぼくの言っていることが理解できない人は、筋トレを始めることをオススメします。
自分の人生という物語の書き手は「あなた」
あなたは「自分の人生」という物語の書き手だということを忘れてはいけません。
あなたが主人公の「人生」という物語は、バットエンドよりもハッピーエンドがよく似合っているとぼくは思います。
映画ならバットエンドでも称賛されることはありますが、あなたが主人公の「人生」という物語は映画ではありません。
リアルなのです。
生まれ、学び、成長し、そして死んでいきます。
だから、成功に繋がるための習慣や鍛錬を勉強する必要があるんです。
そのためにまず、自分の喜びや率直な痛み、苦労の涙、それらを解剖し、感謝の気持ちを抱きましょう。
そうすることでみなさんは上達し、次のステージに必ず進めます。
そしてさらに喜びを感じ、突き詰めることができるハズです。
失敗なんて当たり前
誰もが必ず失敗を経験します。
問題は失敗することではなく、失敗を認め、改善し、前に進み続けることです。
新たなページをめくり、気持ちを一新してください。
最後にもう一度だけ言いますけど、あなたがあなたの「人生」という物語の書き手なんです。
あなたの喜びに時間を費やしましょう。
みなさんと次の記事でまたお会いできるのを楽しみにしてます。
でわまたっ