こんにちは、ダイエットに成功した「コボヒロ」です。
ダイエット期間が終了し、充実感を噛み締めながら体重計にのり、ダイエットの成功を確信した瞬間、
「よく頑張ったな、俺!!」
と、大胸筋にいたもう1人の僕が充実感に浸る一方で、
「もしダイエットに失敗していたら、自分にどんな声をかけていたのだろう?」
と、脳内にいたもう1人の僕が考えを膨らませだしたら意外と面白かったので、
今回はその出来事について記事を書いていきます。
「ダイエットの成功は100%自分の成果!」と言い切れる理由
ダイエットの成功は誰がなんと言おうと「自分」のおかげです。
自分の体を使って、
自分の頭を使って、
自分が決断し、
自分が実践して、
自分が改善して、
そして「自分の体重」が落ちた。
ケチのつけようがないぐらいダイエットの成果は「100%自分の成果」と断言できます。
他人の知恵を借りたから、他人のおかげ?
ゴールドジムの施設を利用したから、ゴールドジムのおかげ?
スーパーでフレッシュな野菜を買えたから、スーパーのおかげ?
アマゾンでコスパの良いプロテインを買えたから、アマゾンのおかげ?
違いますよね?
誰がどう考えても自分の成果、自分の手柄です。
これは傲慢でも、過信でもありません。
ただの事実です。
例えば、
「僕のダイエット記事を読んでダイエットに成功した人がいた」
と仮定しましょう。
その時ダイエットに成功したのは誰のおかげですか?
僕のおかげですか?
それとも、あなたのおかげですか?
誰がどう考えても100%「あなた」のおかげです。
あなたが自分の体を使って、自分の頭を使って、自分で決断し、実践して、改善して、自分の体重が落ちた。
紛れもなく「あなたのおかげ」でダイエットに成功したのです。
逆にここで僕が「俺のおかげだ!」と言ったら、それは図々しい上に傲慢で気持ちが悪いです。
「あなたのダイエットの成功はあなたのおかげで、僕のダイエットの成功は僕のおかげ」
まずはこの点をしっかり把握して下さい。
間違っても「俺のモノは俺のモノ、お前のモノも俺のモノ」と言ったような理論にはならないで下さい。(俗に言うジャイアン理論)
それではこれが「ダイエットに失敗した時」はどうなるでしょうか?
人間は、成果が責任に変わった瞬間に、悪魔的なまでの思考の豹変を見せるのです。
「失敗は自分以外の何かの責任」にしたがる生き物が人間
あなたはダイエットに失敗した時、どんな言い訳や理由を列挙しますか?
「親がダイエットに協力的ではないから、親が悪い」
「パートナーと喧嘩したから、パートナーが悪い」
「雨でジムに行くのが億劫だったから、雨が悪い」
「寒暖差で体調を崩したから、季節が悪い」
「お通夜が入ったから、死んだ人が悪い」
「友達がご飯に誘うから、友達が悪い」
「仕事が忙しいから、上司が悪い」
作ろうと思えばもっと作れますけど、この辺にしておきましょう。
ちなみの僕の言い訳は
「インドのムガール王朝時代の王様が悪い」
です。
そもそも「体重を計る」という文化を作った人が一番悪いと思うのですよ。
「体重を計る」という歴史は、インドのムガール王朝時代の王様が、毎年自身の誕生日に年々増えていく自分の体重を計り、国民に告知するようになったのがその起源と言われています。
「ムガール王朝時代の王様(デブなおっさん)」がいなければ、今ごろ体重で悩む人はいなかったはずなのに!」
という冗談はさておき、みなさんは既にお分かりだと思いますが、
「失敗は絶対に自分の責任にはしたがらない」
というのが、人間の悪魔的な部分としてあるようです。
それはそうですよね。
誰でも自分の失敗を認めるのは怖いし、痛いし、カッコ悪いと感じるものです。
でもそれって弱くて、狡くて、ダサくですか?
例えば、
サッカーのゴールキーパーが無失点の日には
「今日は俺のおかげで無失点だった!がはは」
と言っているのに、「0-3」で負けた日は
「守備が悪い!」
「攻めが4点取れば勝てた!」
などの批判をした挙句、
「〇〇がサボってたから試合に負けたんだ!」
と名指しで選手を批判するようなゴールキーパーにあなたはどんな印象を抱きますか?
というお話です。
少なくとも僕は憧れませんし、そんな人間は性根が腐っていて大っ嫌いです。
自分の人生に100%の覚悟を背負って生きよう
「成功したら自分の成果、失敗したら他人の責任」
そんなことをしている間は永遠に成長なんて望めません。
知っている人も多いと思いますが、
成功から得られるものより、失敗から得られるものの方が遥かに多いです。
ここで勘違いして欲しくないのは
「だから、ダイエットに失敗してもいいんだよ(^^)」
と言っているわけではありません。
「いつかのダイエットの成功に向けて、今の失敗を受け入れましょう」
と言うことを真に言いたいのです。
言葉にすると簡単に感じますけど、実際問題「失敗を受け入れる」作業は並大抵の覚悟では達成できません。
なぜなら、失敗を受け入れることには大きな痛みを伴うからです。
こればかりは仕方がありません。
どうしようもないことです。
いつの時代でも「真実を受け入れる」ということには一定の痛みを伴うものです。
今でも僕は「初めて失敗を受け入れた日」を鮮明に覚えています。
想像を絶する痛み、無限の悲しみ、真っ暗な虚しさが集団で際限なく津波のように押し寄せてきます。
(22年間逃げ続けた報いってやつですねw)
が、あの日、勇気を持って自らの失敗を認めたからこそ、今のちょっぴり強い僕がココで記事を書いています。
失敗を認め、成長に変換していくことも人生には必要だと僕は信じています。
僕にも出来たんです。
必ずあなたにもできます。
おまけ:オフィシャルな発信には「皆さんのおかげ」と言うことが大切。
世間ではどんなに自分が成果をあげても「皆さんのおかげ」と言う謎の風潮があります。
そこでカッコいい人は
「そんな風潮ぶっ壊してやる!」
と息を巻くところだと思いますが、僕は必ずその謎の風潮に従います。
会社の報告、プレゼン、表彰、どんな場面でも必ずです。
「皆さんが僕にチャンスを与えてくれたお陰です」
「この成果はこの場にいるみんなと分かち合いたいです」
「皆さんの支えがなければこの成功はあり得ませんでした」
的な綺麗事をしっかり言うように心掛けます。
本当にそう思ってるか、思ってないかはさほど問題ではありません。
大切なことは「自分にプラスに働くか、周囲にプラスに働くか」です。
自分のエゴを通すことに本当にメリットがあるのか、だけそれだけをひたすらに考えています。
組織に属してる以上、100%自分の成果とは流石に言えません。
すなわち「100%自分の成果っす」と言う発言は、必ず誰かしらには不快感を与えてしまいます。
それは組織において明らかにデメリットです。
なので、そこは思い切って成果を捨てましょう。
えぇ、100%捨てましょう、もちろん笑顔でね。
でも、心の奥底にはしっかりと成功体験を刻むことを忘れないで下さい。
それが「処世術」というモノです。
まとめ
成果が責任に変わった瞬間、すなわち「土壇場」こそ、その人の真価は問われます。
「自分以外の何かの責任にしてダイエットから逃げるのか」
「失敗を認め、失敗と向き合い、ダイエットに再チャレンジするのか」
どちらの人生を選択するかは個人の好きにしたら良いと思います。
でも僕は、
失敗には耐えられますが、挑戦しないことには耐えられない性格なので、
素直に失敗を認め、再チャレンジし続けます。
あなたはどうしますか?