僕が物心ついた時から今に至るまでの20年間以上、普遍的な説教フレーズと言うモノがあります。
それは「怒られている内が華」というモノです。
ご存知の方も多いと思いますが、
「お前のことを思って怒ったんだぞ!」
「お前に期待しているからこそ、怒ったんだ」
的なニュアンスの意味です。
一見正しいかのように錯覚してしまいますが、この考え方は大間違いのお馬鹿野郎です。
耳にタコができるほど、両親からも担任の先生からもこのフレーズをシャワーのようの浴びせられ、
さながら「洗脳されている捕虜」のような気持ちだったのを今でも鮮明に覚えています。
「お前のためだ」
「お前に期待してるんだ」
「お前は言えば分かるヤツだ」
当時から今でも思っていることですけれど、これはただの上っ面の部分で、心の奥底の本心は
「自分に従順な奴隷が欲しい」
ただそれだけの欲望を満たすためだけ、
まさに天使の皮を被った悪魔的な意味が、
「怒られている内が華」
には潜んでいると僕は強く感じます。
「よく言うことを聞く子ども」
「真面目に働く部下」
「従順なパートナー」
このような人たちは誰もが一度は欲しがるモノですが、洗脳をしてまで欲しいとは思いません。
そもそも「怒り」とは誰が得をするために発明されたモノなのでしょうか?
怒って得をするのは「怒った側の人間」だけ【怒った側の2つのメリット】
怒った側が「この感情はなんだ?あっ、これが怒りか!」となったのか、
怒られた側が「相手の顔が怖い。これが怒りなんだ。」と気がついたのか、
今となっては知る由もありません。
が、僕は「怒った側が怒りを発明した」と信じています。
なぜなら、怒った側にしかメリットが享受されていないからです。
メリット1.ストレスを発散できる
仕事のストレス、家庭でのストレス、プライベートのストレス。
それらの溜まったストレスを「怒り」を通して発散することで、気分がとても晴れやかですがすがしい気持ちになります。
怒るのが苦手な人はストレスを溜め込んでしまうため、限界が来ると爆発してしまったり、限界を超えた結果「ノイローゼ」などの精神的な病気にかかってしまい、最終的に体調を崩してしまったりします。
そのため、3日に1回のペースで感情のストレス発散をしてようと思い、1番手軽な「怒り」を選択する人が多いのです。
メリット2.「相手をコントロールできている」気分を味わえる(強そうに見える)
なんか「怒っている人」って強そうで、怖そうに見えるときってないですか?
特に自分よりも身長が大きくて、ひげが濃くて、腕が太い人に
「なんやわれぇぇぇぇぇぇ!!!!!」
とか言われて威嚇されたら、堅気の人間は普通に泣きます。これって
「相手の怒りによって、私たちの感情がコントロールされている状態」
だと言えますよね。
もちろん、年齢を重ねればその耐性はつきますが、20代~30代の人はやはりコントロールされやすい傾向にあります。
怒られた側には何一つメリットがない
残念ながら怒られた側のメリットはありません。
「怒られて嬉しい」
みたいな一部の変態をのぞいて、99.9%の人間は損をします。
だって大勢の前で、大きな声で、怒鳴りちなされたら誰だって不愉快な気持ちになりませんか?
仮に陰で、小さな声で怒られても、少なからず不愉快な気持ちになります。
なんでもかんでも「怒り」で解決する時代は平成で終わりを告げたのです。
それでは令和では何が求められるのだ?
この令和時代に必要なモノは「怒り」ではなく「論理」です。
令和の時代に必要なモノは「論理」
歴史の変遷を見てみると、
「怒りで部下をマネジメントしてきた昭和」
「怒りがパワハラに変換された平成」
「論理で部下を納得させる令和」
だと個人的には感じています。
令和の時代になっても怒り狂っている人はただの「趣味」です。
だって「怒りでは何も解決しない」ということは既に歴史が証明してくれているからです。
これからの時代は「怒り」の代わりに「論理」で問題を解決しましょう。
「ゆとり世代」「さとり世代」というモノは理不尽な怒りに対して、絶対に屈服や納得はしません。
中間管理職以上の人で、未だに論理思考が身に付いていない人はこれからの仕事にかなり苦労すると思います。
例えば、
上司「この資料22:00までにまとめておいて」
部下「なんで僕なんですか?」
上司「上司の言うことは黙って聞けよ!」
部下「嫌っす。しっかりとした理由がないのなら資料作りはお断りさせて頂きます。」
上司「オイッ!!!」
部下「スタスタッ、、、」
こういう未来はもうそこまで来ています。
っというか、すでに体験したことがある人も多いのではないでしょうか?
こういう日常的に訪れるシュチュエーションの時にあなたは、
論理的な説明で部下を納得させることができますか?
もし出来ないのであれば、今後の「部下をマネジメントする」という作業で死ぬほど苦労するでしょう。
上司「それじゃ、どうすればいいんだ!!」
コボ「まず、エクスクラメーションマークの乱発を止めようね。」
という冗談はさておき、論理的な思考を身につけるのは訓練しかありません。
※僕は「怒りを0にしろ」とは言いません。
「論理的な思考」という土台の上に「感情のスパイス(怒りなど)」を一振りしてください。
そうすると怒りの意味が大きく変わってきます。
「いつも怖いジャイアンが優しいことをした」
というぐらいの破壊力を持つことになるでしょう。
もう一度言います、感情は論理の上でコントロールするモノです。
論理的な思考は後天的に身につけられる
ぶっちゃけると、僕は頭の出来がよくありません。
が、脳みそが擦り切れるぐらい使い倒してようやく「論理的な思考」を身につけられました。
はっきり言いますけど、論理的な思考は「思考の反復運動」なので、慣れるまでかなり頭を酷使するので疲弊します。
が、それに見合うだけのリターンはあります。
今日は論理の触りの部分だけお話しした後で、僕が実際に勉強で使った良書たちのご紹介をしていきます。
論理的思考のほんの触りの部分
誰かを納得、説得、マネジメントするためには考えなければいけません。
では「考える」とはどういったことなのだろうか?
相手に向かって「思いついたこと」「心に浮かんできたこと」を、そのまま感情にのせて言葉で表していけば良いのだろうか?
違う、違う。
論理的な思考を相手に伝えたいと思うなら、石を置くように要素を置いたのではいけません。
要素同士がキチンと繋がっていないといけません。
その要素をつなぐ役割を果たすのが「接続語」です。
(ん?「論理」だと思いました?笑)
「だから」「つまり」「なぜなら」「そして」「すると」など。
しかしもう一方で、「つなぐ要素そのもの」すなわち、「石」自体はどのように導き出せばよいのだろうか?
そもそも正しい導き方というものが存在するのだろうか?
そう問われて「私はもう論理的な導き方を分かっています」と答えられる人は少ないでしょう。
なので、ここから論理の世界に少し足を踏み入れていきます。
日常の会話の中で、言葉のつながりから考えを導き出しているやり方は、論理学的に正しいとは限らない、という点をまず覚えておいてください。
論理的っぽい日常会話の8割は、正しくない論理の導き方をしています。
では、論理的に正しい導き方とはどのようなものか、あるいは逆に、
論理的に正しくない導き方はどのようなものかを考え、その応用で文章の作り方を学んでいきます。
さっそくだけれども、基本的な用語を抑えていきます。
※論理学には独特な言い回しがあるので、少しだけ注意してみてゆきましょう。
論理の4大命題(基礎用語の確認)
「元」命題…「PはQだ」
「裏」命題…PでないならQである
「逆」命題…QならばPである
「対偶」命題…QならばPでない
真…論理的に正しいこと
偽…論理的に正しくないこと
さて、1つ1つ詳しく見ていきましょう。
、
、
、
と思ったのですが、これ以上進んでいくと1冊の本がかけてしまうので、
この論理学の基礎をさらに深く掘り下げて、
「ビジネス」「教育」「マネジメント」
に落とし込んだ良書たちを最後にご紹介いたします。
論理的な思考を学べる良書3選
1.論理を学ぶ最初の1冊にオススメの本
2. 活字だけではなく、漫画で優しく学びたい人へ
3. 論理的思考を極めたい人へ
まとめ
論理的な思考は後天的に身につけることが可能なスキルの1つです。
しかし、残念なことに一朝一夕では身につきません。
筋トレと同じで「少額の初期投資」と「継続的な努力」が必要になってきます。
多くの読者のみなさまは、実際に本を買ってくれて
「コボさん〇〇の本読みましたよ!」
とメールで健気に報告してくれるのですが、3ヶ月後に
「その後どんな感じですか?」
とメールを送ってみると8割近い人が諦めてしまっている、という現実があります。
そうなんです、多くの人は「継続」が出来ずにリタイアしているんです。
継続については習慣化が大きく関わってくるので、詳しく知りたい人は習慣化についての記事をご覧ください。
ここまで読んだ人はひょっとしたら始める前から
僕には無理かもしれない、、
と不安になっていることでしょう。
安心してください、分からない部分は僕が全力でサポートさせて頂きます。
ぜひ、気軽のメールを飛ばしてください(^^)
もちろん無料ですし、変な勧誘もありませんのでご安心を。
でわまた、良い論理を!